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丹波の木工屋

丹波の生活の中の木工

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丹波の生活から, 木と楽しみながら 創ることを発信したいな・・・ 人間らしい、生き方とは・・・。 営みとは・・・。

丹波の照葉樹林

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かつては、巡礼街道として、戦前は、旧陸軍篠山連隊、整備の亀割峠。

県道市島・追入れ線の峠として、地図にも記載されてた。

いにしえの古道峠。

今は、往来する人もない峠道。

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丹波市春日町側は、照葉広葉樹林帯になってて、展望台や標識、看板は、県道らしい表記が

なされています。

木漏れ日が、奇麗。

植生も豊富で、柴刈りや炭焼き、薪作りをしながら

整備すれば、人と動植物・自然、が、協調する素敵な里山になるだろうな。

まずは、林道整備をし、散策できて、ピクニック感覚で、遊べる山作かな?








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丹波の新緑の頃

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田に水を引き、稲作の時期。畔や草道を丁寧に
草を刈り、田植え。
水面には、逆さ三尾山。
山は、新緑で、笑ってる。

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山法師の清楚な花弁も緑に映えます。

同じ仲間の「ハナミズキ」は、咲いてても

病気のようで、色ずいてません。

樹木として、適材は、東北のこけしが、有名。
水木の仲間なので
緻密で、細目の良木が、取れます。
用材として、印鑑、根付、器具材等。
細工ものとしては、Sランクの樹木。
もっと、大切に使っていきたい材種です。




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朝倉山椒が、たわわに実って、収穫のシーズン。
山椒は、「花良し、葉良し、実良し、幹良し」
捨てる所が,無いから木の寿命が、短い?

写真は、実山椒と幹の擂り粉木

薬効は、「山椒。目の毒、腹薬」

あくまでも、言い伝え。






まな板とカッティングボード?

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久しぶりにまな板を作ろうとして
色々調べてみて、まな板とカッティングボードの違いは?

やはり日本の木の文化と西洋の文化の違いに気づきました。
日本のまな板の適材適所の材種は、1に、柳、2が、朴木、3が、銀杏と
習っていたのですが、最近は、抗菌作用がある、ヒノキやヒバの木が、人気だとか。
きれいに鉋をかけて、水を弾く位の削りをしてても
使ってるうちに包丁が、当たっている部分に雑菌がついて黒く変色してきます。
変色しないようにするのには、熱湯をくぐらせて殺菌して乾かす必要が、ありますが
その手間が敬遠されるようになり、また、包丁の刃がが当たって摩耗していくと中央部が
凹んでいくので、水気がたまり見た目がよくありません。
ひと昔まで、鉋で削り直してと依頼されて、直しもしていたのですが・・・・・。

削り直して、平面を維持するのは、まな板の厚みが、必要なのですが一寸(30ミリ厚)
の板にすると重いと嫌われるように・・・・・。

それと、板目板は(木目の間隔が広い板)反ってしまい、両面使いが出来なくなります。
柾目で、細目の木材は、100年以上の年輪を持ってまっすぐに成長した良木からしか
製材できません。(板目板の方が、歩留まりが良く、柾目板を取ろうとすると歩留まりが悪く
手間もかかる)
結局、柾目板は値段が、1.5倍位になるので、敬遠されるように・・・・・。

そこで、写真のカッティングボード(まな板)は、スプルース(北米産針葉樹。幹回り1メートル以上)の
柾目板。木目の間隔が、1ミリ以下の細目で、気乾乾燥材。最も最高ランクの所は
楽器用のMマークが、施されています。(有名なところは、ピアノの響板、バイオリンやギターの響板等)

板の厚さは、18ミリ。幅は、24cmくらい以下、長さは、35cm以下に抑えて
重さが適切で、反りが出にくくメンテナンスしやすいサイズに絞り込みました。

木口(切り口)は、木口鉋を掛けて、10ミリRの丸面に仕上げました。
まな板の良いところは、刃を傷めない所。
また、出来るだけ、永く使えるようにお米を精油した安全塗料
の「キ〇カ」を塗布しています。


スプルースの和名は、「新榧(カヤ)」
刃受けが良く、日本でも楽器や建具材とかに使われていました。


只、ここ数年のウッドショック以来、2倍は値が上がり高級材の
仲間入りしてしまい良材は、入手しにくくなりました。

私の実父は、60年以前から木工業を生業にしてきました。
家具屋、建具屋を経て、大手照明器具メーカーの木製照明器具の
製造を請け負うようになり、大阪南港の貯木場で、原木を筏買い
製材して、乾燥して一貫製造するようになりました。
月産、5000本くらいの木製照明器具の生産をしていましたが
そうした、時代は永く続くわけがなく
父が、無くなると時代が、代わり木製の照明器具の人気は
プラッチック製品にとってかわられました。

私は、その時代の製材された、残りの材料(スプルース)の
幅広材をまだ持ってるため
有効利用の一つとして
まな板カッティングボードを作ろうと
考えました。